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株式会社グリーングラス

株式会社グリーングラス

現在、 株式会社ナチュラルハーモニー(東京都世田谷区(自然栽培の販売会社)・鹿児島市・津曲工業、熊本市河内・ウシジマ青果・ 大成農材株式会社(広島市鉄砲町(フィッシュミール肥料の会社))の顧問。
また、 株式会社吉森(佐賀県唐津市) 金山パイロットファーム株式会社(三重県熊野市)JA三ケ日・JA紀南・熊本県(水俣市中黒店、芦北町、津奈木町)JAあしきた、宮崎県JA尾鈴柑橘葡萄部会などを技術指導している。

経歴年号

株式会社グリーングラス代表 道法 正徳(どうほう まさのり)
    ペンネーム 川田 健次 著書『 高糖度連産のミカンつくり

1953年2月13日
(昭和28年)
豊田郡(呉市)豊浜町に生まれ中学までを過ごす。
1968年
(昭和43年)
愛媛大学農学部付属農業高等学校入学、46年卒業。
1971年
(昭和46年)
予備校の広島YMC学園入学、47年卒業。
1972年
(昭和47年)
大東文化大学・経済学部経済学科入学、51年卒業。
1977年
(昭和52年)
広島県経営研修農場の果樹コース入学、52年卒業。
広島県果実農業協同組合連合会・技師として入会。
1978年
(昭和53年)
木江町農業協同組合駐在。
1984年
(昭和59年)
能美島農業協同組合駐在。
1989年
(平成元年)
瀬戸田町農業協同組合駐在。
1993年
(平成5年)
広島果実連本会広報課に移動。
2002年
(平成14年)
広報課長・17年購買課長を経て平成17年退会。
2005年
(平成17年)
株式会社りょくけん入社・販売部次長
2010年
(平成22年)
独立-アグリカルチャーコンサルタント株式会社グリーングラス設立。

代表経歴

木江町駐在の頃から、今までの農業技術に疑問を抱く。
「雑草が生えると、地温が下がるので草が無いほうが開花が早い」…これが間違いであった。
…地温が変わっても、気温の影響が大きいので開花は変わらなかった。
自分が指導したとおりに、剪定(枝を切る作業)したら2年に1回しか成らなくなった。
1984年(昭和59年)の気象条件の年が、最高の果実肥大を示した。
肥料は同じようにやっているのに、肥料より雨の量(水分量)が影響する。…と思った。第一回目、無肥料の確信。

1985年(昭和60年)能美島農協での出来事。
当時、8のグループで苗木の共同育苗を行った。
このとき、新しい芽を結束して上に向ける方法にすると、ぐんぐん伸びた。
肥料をやって結束が遅れたグループと、肥料をやらないのに結束をきちっとやったグループに分かれたが、肥料より結束をきちっとやったグループが1番になった。
このとき、はっきりと「肥料以外の何かが働いている」と確信した。
でもまだ、肥料ゼロの発想ではなかった。通常の、3分の1~4分の1程度で十分との発想であった。

1986年(昭和61年)から、横枝を切って立枝を残す方法を本格的に試験する。
あまりにも素晴らしい結果だったので、62年から剪定方法を変えて指導する。
能美島農協駐在最後の年からは、はっきりと「今までの剪定方法が間違っていたので、大きく変えて行きます。今まですみませんでした」と農家に説明して講習会に望んだ。

1989年(平成元年)の瀬戸田町農協時代が全盛期で、大改革の指導時代であった。
1989年(平成元年)に、農文協の「せん定を科学する」菊池卓郎著と出会い、植物ホルモンの流れで肥料ではない力を確信する。
さらに、 農文協の「植物ホルモンを生かす」太田保夫著で決定的確信を深める。
しかし、そんなことをいえば果実連の中では「浮いてしまう」存在になる。

1997年(平成9年)頃より、 農文協の「月刊・現代農業」に執筆活動を始めるが。「内容がおかしい」との理由で執筆中止が果実連上層部から通達があった。
それでも真実を伝えたい想いから、平成10年頃より農園の名前(ホンキートンクファーム名)で執筆開始する。
2001年(平成13年)には、いよいよ単行本発刊にあたりペンネーム出版することに決めた。
農文協は「単行本は実名で出すのが常識です。ペンネームは無理です」と反対したが「それではこの本の話はナシということで」と断ったが、最後は了承してくれた。

話しは飛んだが、平成5年に母が亡くなり、1.8ヘクタールの柑橘園を管理しなければならなくなった(父は、昭和61年死亡)。
その頃から、全園管理が難しいことから、「徹底した、省力化の技術の開発は開発できる」との確信があり、そちらの方向に取り組んでいくことを決意する。
その中の試験が「肥料は少しで、無農薬」であった。結果は、意外に良いものが収穫できた。
極早生・早生ミカン・普通温州・ネーブル・八朔・甘夏・レモンで試したのであった。
その他、レモンが一箇所だけ離れたところにあった園地で、成り行き無肥料・無農薬の園地ができてしまった。
それは運搬車である、モノレールが古く収穫したレモンを運ぶのが精一杯でとても肥料など運べる状態でなかった。
このことが、幸いしたのであった。「どうせなら思い切って、肥料も農薬もやらなければどうなるか」と試験栽培することになった。

1997年~1998年(平成9~10年)に植えた、レモンの苗木であるが平成15年頃より収穫が始まった。
2006年(平成18年)頃より、レモンに「かいよう病」が発生して拡大するような状況になった。
2007年(平成19年)を最後に、レモン栽培をあきらめるしかないと思って収穫に行った(レモンはかいよう病に弱いため、一般栽培では5~6回防除する)。
なんと、増えると思っていたかいよう病が一気に無くなっていたのに驚き、無肥料のパワーを完全に確信した。
その年から「無肥料・無農薬栽培…自然栽培ともいう」の推進に奔走する。現在、農文教「現代農業」に執筆。

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